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2024年10月礼拝説教


★2024.10.6 「神の招きのもとに立つ」マルコ10:1-16

「神の招きのもとに立つ」マルコ10:1-16
2024.10.6 大宮 陸孝 牧師
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(14節〜15節)(マルコによる福音書10章14-15節)
 1節で「イエスはそこを立ち去って」とあります。少し前の9章33節に「カファルナウムと記されてありますので、「そこ」とは、このカファルナウムのことで、イエスのガリラヤでの活動が終わり、ここからはエルサレムへ上る途上」(10章32節)の記事となるということになります。イエスは彼自身が予告した受難の地、ユダヤの権力が集中する都エルサレムへの道を歩み出します。ガリラヤのユダヤの人々がエルサレムへ向かう経路は、敵対関係にあったサマリアを避け、ヨルダン河の向こう(ペレア)を通ってユダヤに入るのですが、マルコの記述はユダヤが先になっています。ごく少数の弟子たちがイエスに随行して行くのですが、時あたかも過越の祭が近づいていて、大勢のユダヤ人のエルサレム詣でが始まる時期でもありました。ですから、イエスと弟子集団が特に目立っていたわけでもなかったでしょう。そのエルサレムへ上る途上で、今までと同じようにイエスの行く所には大勢の群衆が集まって来ました。そこでイエスは様々な人間の的外れな罪と不信仰の現実に向き合い、2節以降結婚・離婚(2節〜12節)、幼子(13節〜16節)、財産(17節〜31節)の問題について論じ、三回目の受難予告(32節〜34節)を行い、理解することの鈍い弟子たちに忍耐強く教えて行く最後の章となります。

 2節〜4節 群衆に教えているイエスにファリサイ派の人々が近づき、イエスを試そうとして「夫が妻を離縁することは、律法に適っているのでしょうか」と質問をします。ファリサイ派は、ユダヤ教では離婚が律法で認められているのを知った上でこの質問をしています。「離婚は認められない」との答えをイエスから引き出そうとしたのです。そうすることによって、イエスの教えとモーセの律法との矛盾を指摘し、さらには、王ヘロデが自分の兄弟フィリポの妻ヘロデヤをめとり、これを批判したバプテスマのヨハネが斬首された事件と関連させて、イエスを窮地に立たせ、訴える口実にしようとしたのです。申命記24章1節には、次のような規定がありました「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見出し、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」

 この規定の離婚理由については、イエスの時代の律法学者の二大学派、シャンマイ派とヒレル派との間で意見が二つに分かれていました。シャンマイ派はこの規定を厳格に理解し、結婚前の不品行と妻の姦淫に限って離婚を認めましたが、ヒレル派は、些細なことでも「恥ずべきこと」に含めて、離婚を容認しました。「恥ずべきこと」を具体的にどう理解するかで、この申命記の規定は、どうにでも解釈が可能であったのです。イエスを罠にかけようとする質問に対して、イエスは「モーセはあなたたちに何と命じたか」と逆に問います。それに対してファリサイ派は「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と、申命記の規定を持ち出して答えたのです。

 この答えを聞いたイエスは、「離婚」問題は、「結婚」についてそもそも本質的にどのように理解するかにかかっていることを明らかにします。離婚規定は頑なな罪人(つみびと)、人間への譲歩として設けられたものに過ぎないと語ります。結婚は本来、神が定めた秩序なので、人間の都合で左右されるものではない、というのがイエスの答えでありました。

 モーセは確かに離婚を認めました。しかしそれは本来は神の意図ではなく、神の側の寛大な「譲歩」である。ファリサイ派は「離婚」を問題にしたけれどもイエスはその前提である「結婚」とはそもそもなんであるのか、その本質を示しているのです。結婚が本来どういうものであるかが分かった時に、離婚に対する態度も決定されるということです。

 申命記の規定は本来弱い立場の女性を保護する目的を持っていたもので、離婚に際しては「有効な離縁状」を必ず提出するように夫に命じたものであったのです。当時のユダヤ人の間では、結婚の当事者は対等ではありませんでした。女性は自分の意思で結婚するのではなく、父親の意思で「結婚させられた」のです。そのような一方的な慣習の中で、男性の身勝手さを幾分かでも緩和させようとしたのがこの規定でありました。ファリサイ派は「離婚」を問題にしましたが、イエスは「離婚」ではなく、「結婚」を問題にして、その本来の姿を創世記の記事まで遡って明らかにされたのでした。イエスによれば、「離婚」は神が定めた「結婚」の秩序を破ることであり、あるべき姿の失われた状態だからです。このようにして、イエスの答えはファリサイ派の結婚観を逆に問い直し、問題なのはファリサイ派の「結婚」に対する本質的な理解の欠如であることを明らかにされ、ファリサイ派は、ここでさらに発言する余地を失ったのでした。

 イエスは創世記2章24節「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」を引用し、それに付け加えるように「従って、神が結び合わせくださったものを、人は離してはならない」と語ります。結婚は神が定めてくださった秩序である以上、人間の都合によって簡単に解消してはならないものであることを示されます。

 ファリサイ派は、イエスが離婚を否定するという予測をもって、イエスに尋ねていました。そして、イエスの答えと、離婚を容認する申命記の規定との矛盾を指摘して、イエスを板挟みに追い込む目算をしていたのです。しかし、ファリサイ派はイエスが結婚の本来のあり方にまで遡って、結婚の本来の意義を確認するしかたで答えていますので、彼らの目的を果たすことができなくなってしまったのです。逆に、当時のユダヤ人の間では実際には、しばしば身勝手な離婚が安易になされ、結婚が神の定めとして真剣に受け取られずに、人間同士の出来事としてしか考えられていなかったことが暴露されることとなったのです。

 10節〜12節マルコ記者は、これまでのイエスの教えに、さらに新たなイエスの言葉を付加するために、弟子たちに質問をさせるという手法を採っています。イエスの結婚に関する本来の意味の宣言にもかかわらず、それによって明らかにされた人間の罪の現実がなお残るからです。11節では、妻を離婚した夫が再度結婚した場合には、夫は、先に離婚した妻に対して姦淫の罪を犯すことになる。妻を離婚することを当然と考えていた人々にとっては、そのようなことは考えも及ばなかったことでしょう。マタイ19章3節〜12節はこのマルコと平行している箇所ですが、その箇所では、イエスの言葉を聞いた弟子たちは「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」(10節)と反応しています。弟子たちですらその程度の理解でしかなかったのです。

 ファリサイ派の悪意ある質問から始まったこの物語の中で、イエスは当時の人々が結婚について持っていた理解、実際に行われていた慣習に対して厳しい反省を促していますが、それは、結婚の本来の「神聖さ」を回復するため、すなわち結婚は神によって定められた秩序であることを認識することによって、離婚が神の意志に反したものであることを明確にするためであります。ルターの宗教改革以後の教会の結婚に関する理解においても、「結婚は神の定めた秩序であり、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」この原則は根本的には変わりはありません。

 この討論がファリサイ派からの質問によって始められたことの意義は大きい。結婚・離婚は、社会的な約束事や風潮、また、法的な規定、また当事者の感覚としてではなく、神の前で、捕らえなければならないということをわたしたちは改めて示されたのです。結婚の基礎は男女相互の愛でも感情・情欲でもなく、神の愛の選びなのだということです。ですから、たとえ人間的な愛が冷めることがあっても、それは離婚の理由にはなりません。神の選びを信じ、主の十字架の光に照らされ、自分とは異なる他者と相向き合い立つ時に、罪人のために示された神の愛を新しく生きる力としてお互いに受け止めて、共に生き合うことができるようになることが大切です。

 相互に最も近い隣人として、神に与えられた人と共に生きる結婚生活は、隣人を愛する愛が試され、育てられる場でもあります。罪のこの世では、キリストの十字架の贖いのもとでなければ、神に与えられた真実の助け手としてお互いを受け止めることはできません。また、十字架においてこそ、お互いに恥ずべきこと、好ましくないことを見た時に、その罪をあげつらうのではなく、互いの罪を負い合い、赦し合う一体化が可能となるのです。離婚が法的に許されているからうまく行かなければ解消すればよいと安易に考えることは罪の誘惑であります。神の選びの前に二人で立つ信仰が重要なのです。

 さて、結婚・離婚の問題の後に子どもたちに関する教えが続き、さらに財産の問題が続きます。これらは教会の共同体にとっては基本的な日常の問題であり、関心事でもあります。マルコ福音書の読者はすでに9章36節〜37節でイエスが子どもを抱き上げて「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と語られたことを知っております。そこでは子どもは「小さい者」をあらわす譬えとしての意味をもっておりましたが、ここでは、文字通り実際の子どもに対する態度が問題とされています。弟子たちは祝福を求めて子どもたちをイエスのもとに連れて来る人々を制止します。弟子たちは、こういう親たちの願いは切実なものとはいえ、それ自体は利己的なもので、親たちの中には、イエスについての正しい理解があったわけではありません。神の国が来ていることについても、それだから自分たちは悔い改めて福音を信じ、救いに入れられるべきであることをも、真剣に受け止めていたわけでもありませんでした。その救いの道を開くために、イエスが十字架への道を歩んでおられることをも、理解してはいなかったでしょう。ただ自分の子どもたちの幸せだけを願い。そのために高名な先生の一人であるイエスに触れていただきたいその思いに駆られて、親たちはイエスの許にやって来たのでした。

 そういうことで、この時に弟子たちが親たちを叱ったことは、弟子たちに取っては、当然の判断であったのでしょう。そのような者たちによって、集会が妨げられることは、弟子たちにとっては許されることではないと思えたのです。またそれは、イエスご自身にとっても不本意なことであると、彼らは信じたということです。だから、自分勝手な願いをもってやって来て集会の妨げになった親たちを叱ったのです。イエスは、弟子たちのそのような行為に憤られます。それは弟子たちにとっては意外なことでありました。親たちを叱りつけた弟子たちが、今度はイエスに叱られることになりました。それだけではなく、この時イエスは次のように言われます。

 「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(14節〜15節)。子どもたちの邪魔をするなと言われ、さらに、「神の国はこのような者たちのものである」と付け加えられました。これは、弟子たちにとっては大きな衝撃であったろうと推測されます。その時、弟子たちは一体何を言われているのか理解できずに、心は動揺したのではないかと思われます。

 弟子たちが子供を連れて来た親を叱った時、考えていたことはどんなことであったのか。

弟子たちは直前の9章34節で、「誰がいちばん偉いか」と議論し合っていました。それは言い換えれば、「誰がいちばん先に天国に入るのか」あるいは「誰がいちばん天国にふさわしいのか」ということでもありました。そして、その議論には、天国に入るには「一定の条件」が前提されていて、その条件をクリアしている者が天国に入る「資格」がある、という一つの前提があります。律法学者やファリサイ派は、その前提に対して大変明快な判断を持っておりました。それは、律法の規定を完璧に守っている、ということであります。彼らは断食、施しなどを含む律法の規定をぬかりなく守ろうとし、それができない力のない人や、その意思のない人を「地の民」(アムハーアーレツ)あるいはもっと露骨に「罪人」と呼んだのです。ファリサイ派とは「分離」という意味ですが、それは、そのような「地の民」や「罪人」から分離された者という自己理解から来た名前だと思われます。弟子たちにしても、「誰が一番偉いか」という問いの中にそのような一定の条件を前提にして天国に入ることを考えていたことに変わりはないように思われます。自分たちは主の教えを聞こうとしてイエスの許に来ているという思いが弟子たちの中にはあったのだと思います。

 ですから、子供の祝福だけを求めてやって来たような親たちにとっても、このイエスの言葉とその後に続く子供一人一人を抱き上げて、手を置いて祝福された行為は、驚きであったに違いありません。そこまでのことを求めもしなかったし、、考えてもいなかったでしょう。そのようにして、イエスは、そこにいた全ての者たちが予想も期待もしていなかったような丁寧さでもって、子どもたちを祝福され、そうすることによって、神の国が、まさしく子どもたちのものとなり、それ以外の大人たちには、弟子たちをも含めて、子どもたちのように神の国を受け入れることによってのみ、神の国に入ることができることを明らかにされた行為でありました。

 ここで、イエスが明らかにされたことは、わたしたちにとってどのような意味をもっているのでしょうか。その問いは、「子どもたちがイエスの最も近く、また神の国に最も近い存在であるのは、なぜか」という問いと同じです。このイエスの言葉を誤解しやすいのは、この子どもたちの純粋さや、無邪気さをイエスは評価されたのだ、と思い込むことです。そして、大人たちがこの時のイエスの言葉に動かされて、子どもらしさを求め、それを競うようになることです。それは大きな誤解であります。確かにイエスは、子どもたちに、神の国はこのような者たちのものだと言われました。しかし、同時にイエスは子どもたちだけを重んじ、子どもたちの中だけで過ごされているのではありません。イエスはその同じ時間を大人たちのために大部分を使い過ごされているのです。このイエスの言葉も大人たちに向けて話されているのです。その中心にいたのは、変わらず弟子たちでした。この弟子たちを導くために時間を費やされておられるのです。弟子たちもまた、確かにイエスの近くにいたということです。この子どもたちを祝福された出来事は、つまり弟子たちに向けてこのようなことをなさったのであり、そしてこの出来事が代々教会に伝えられたのは、弟子たちの後を継いでイエスの弟子となった人々のためでもあったのです。

 弟子たちが子どもたちを連れてきた親を退けようとしたのは、親たちがイエスの言葉を聞くためにではなく、イエスの教えを受けるためでもなく、ただ自分たちの子どもの幸せを願って、イエスのもとにやって来たからでした。そのような者たちはイエスに近づくのにふさわしくない、と彼らは考えました。しかし、ここで問われなければならないのは、それでは、そのように考えて親たちを退けようとした弟子たち自身は、どうだったのか、ということです。弟子たちもまた、親たちのように、利己的な理由でイエスに近づいた人たちではなかっただろうか。このように考えた時に、弟子たち自身の、そしてわたしたち自身の真実の姿が見えてくるのではないでしょうか。

 自分の願いを第一に考え、そのような利己的な理由でイエスに近づいたのは、親たちだけではなかったのです。弟子たち自身もまた、心の奥深くに、そのような理由を抱え込んだまま、イエスの近くにいたのでした。弟子たちもその本質において、この親たちと変わることはなかったのです。この出来事を通して明らかとなったのはそのこと、つまり弟子たちもまたイエスの弟子としてふさわしいものではなかったのだということでした。イエスはそのことを明らかにしつつさらに、そのような相応しくない者をも、子どもたちと同じように、イエスが呼び寄せてくださり、主の近くにいる者としてくださる、そして、弟子たちに対しては、後に一人一人の足を洗い、このように祝福されている子どもたちこそあなたがたなのだと示されたのです。神の国を受け入れるとは、一番遠いところにいる自分たちを呼び寄せてくださっているイエスを受け入れることであります。そしてそのようにして、イエスに一番近い者とされた自分を受け入れることであります。主の弟子たち、神の子どもとされた者たちとは、ただただ、このことを感謝し、喜び生きる者たちのことです。

 お祈りいたします。

 わたしたちの主イエス・キリストの父なる神様。新しい一週間の歩みに先立ちあなたの御言葉の導きをいただいて感謝致します。たとえわたしたちが的外れで、あなたの御心を悟らない者であっても、あなたはわたしたちを新しくしてくださる創造のご意思を貫いて、主イエスをわたしたちの救い主としてわたしたちの許に遣わしてくださり、わたしたちを十字架の購(あがな)いによって、罪の頑(かたく)なさから救い出してくださいます。どうかわたしたちがあなたの救いの業である十字架の主を仰ぎ、信頼し、自分を委ねて行くことができますように導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン
 
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