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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

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牧師メッセージpastor'S message


 「人生を豊かにはぐくむ音楽」
 
                      
大宮 陸孝 牧師    


 
  ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。
      主の慈しみに生きる人の集いで讃美の歌をうたえ。
  イスラエルはその造り主によって喜び祝い
      シオンの子らはその王によって喜び踊れ
  踊りをささげて御名を讃美し
      太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ
          (旧約詩編149篇1節~3節)

 マルタ・アルゲリッチと並んで、もう一人のピアノの女王と評されるマリア・ジョアン・ピレシュが今年8月に来日公演することが決定したとのニュースが流れました。今回の公演は東京・大阪・広島でピアノソリストとして出演するということです。私は彼女の大ファンでピアノ演奏だけではなく、考え方や行動にも惹かれるものがあります。

 マリア・ジョアン・ピレシュの来日公演のニュースを聞いたときには、〝 えっ!彼女は引退したはずでは?〟と思いました。2018年にコンサート活動からの引退を宣言しています。もう実演での彼女のピアノを聞くことはないのだと多くのファンは思っていたはずです。しかし、ピレシュは今でもコンサートを行っているということがわかりました。

 引退理由は「もう思うように弾けなくなったから」という理由ではなく、仕事としてピアノを弾いたり、それに関わるビジネスの世界に疲れたということだったようです。その後、仕事としてではなく、もっと人や社会のために、自分の創造性を自由に生かしたいという思いを経て、こうして日本公演が実現していると言う説明でした。

 ピレシュの絶対的と言ってもいいほどのピアノの音の美しさは、透明でやわらかく、静けさに満ちていて、それでいて、十分な響きと、明瞭さも持っていて、限りなく優しい風情があり、爽やかな風に音楽が流れて揺れているような、作曲者のその時の思いが実際の音となって響いていると、とりわけ、ピレシュの演奏によるショパンのノクターンの曲にそれを感じます。ピレシュが弾くショパンのノクターン二〇番嬰ハ短調遺作は一旦聞き出すと、何度でもいつまででも聞いていたいそんな気持ちになります。ショパンの遺作とは、生前発表されていなかった作品のことです。なるほど、あの戦場のピアニストの映画の場面でこれが演奏される理由が分かるような気がします。音楽のメッセージ性とはこういうことを言っているのだなと改めて思います。引退して現在に至るピレシュはそれまでよりもはるかにしのぐ美しさに到達しているのではないだろうか、ぜひ聞いてみたいと思いますがたぶん無理でしょう。

 以下にマリア・ジョアン・ピレシュが2018年に引退声明を発表した時の言葉の断片を少し長くなりますが紹介します。

 「芸術は創造することが使命であって、商業的な結果を気にする必要は本来ないはずでした。それなのに今、芸術と商業主義とのはざまの困惑が、ますます大きくなって来ています。第二次世界大戦以降、エンターテイメントやショウビズが発達したことで、芸術世界全般が混乱しています。社会が芸術家に対し、市場で売れるようでなければ存在する権利はないと思い込ませている。真の芸術家として生きることは不可能になってしまいました。若者にとって本当に意地悪な世の中だと思います。音楽学校や先生が若いアーティストに、自分の売り込み方や効果的なメールの書き方を教えるだなんて狂っていると思いますし、とても危険です」

 「私もいろいろな失敗を経て進んで来ましたがそんな中で感じているのは、たとえ今やっていることの意義が人々に理解してもらえなくても、自分の中で確信できていれば良いのです。そして、常に正直に行動すること。そうすれば、経験が自分を助けてくれますし、自分自身が変わることを可能にしてくれます。変わることを許せるということは、自分が失敗することを許せると言うこと。それによって、真実を探っていく。こうして人は、より早く前に進んでいけるのです。」

 「人生は、人と共に生き、共同してこそ意味を持ちます。もし、私が得た何かを自分だけのものとして留めおけば、それはすぐに役に立たなくなってしまいます。人が簡単に音楽の本質を見つけることはできません。でも若い人に伝えたいのは、本当に人と共に生きることを実行すれば、音楽の本質に向かう道は、見つけることができるということ。あなたが持つものが自分だけのものではなく、全ての人のものであると思うことが出来れば、道は開けるのではないでしょうか」

 「現在、芸術は美術館やコンサートホールなどの閉ざされた空間の中に限定されてしまっていますが、より広く、社会全体に浸透させることがアーティストの使命だと考えています。残念ながら、今、若手の芸術家の多くは〝競争(コンペティッション)〟によってエネルギーが枯渇し、十分に社会とのつながりを持てていない状況です。・・・たとえば、病院に行き、そこにいる患者と関わりを持って彼らの〝苦痛〟を知ること。痛みや苦しみ、争いなど、きれい事ばかりではない現実の一面に目を向けることが大切だと思います。演奏の場をコンサートホールに限定していると、『自分は多くの人々に喜びを与えている』という感覚に陥りがちですが、それは単なる幻想に過ぎません。自らの社会の中での立ち位置を知って、〝与える〟だけでなく〝もらう〟ことー他者と対話をし、学ぶことーの喜びを味わい、活動のバランスを取ること。それが私からの若手芸術家にできるアドバイスです」

 ピレシュはさらに「他者への尊敬を本質とする芸術創造の精神と、競争は相反する」という自分自身の芸術哲学に基づいて、音楽コンクールについて次のように述べます。

 「コンクールばかり経験して来たピアニストは、まるでロボットのような演奏をしていると感じています。コンペティッション(競争)のためだけに準備や演奏をする・・・結果、創造性やイマジネーション、そして作曲家に対する敬意は失われ、統一された弾き方だけが残ります。そうした人は、真の意味で楽譜を読むことができず、音楽のエッセンスを理解することもできません。現在のクラッシック界は、コンクールで結果を残さないと演奏家として食べていけない、という問題のある状況に陥っていますが、そんなものは幻想で、本来は一日10時間もピアノを弾く必要はないはずなのです」

 ピレシュは話しの中で繰り返し「自分は(奏者)であり、(作曲家)と対話した結果を、聞き手=他者と共有して初めてその役割が果たされる」ことを強調しています。ピレシュの考え方が端的に表された言葉でした。

 作曲家と自分との対話、そして自分自身の魂に問いかけることの大切さ、それが創造性の源であるとピレシュは語っているのです。これはそのまま、宗教改革者ルターとバッハの音楽性に通じるものでもあると私は思いますので、次回はルターとバッハの教会音楽について、すなわち、人間性を豊かに育む宗教音楽(教会音楽)について書こうと思います。


                       2025年2月1日            

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