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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

 ルターの紋章日本福音ルーテル賀茂川教会  

牧師メッセージバックナンバーpastor'S message



「神はわたしたちを命をかけて守る」   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「あなた方の中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 ルカ福音書15章4節~7節

 神様が人を慈しみ愛されることを、親子の愛にたとえるときには、子に対する親の情愛というものは、その表現方法には違いはあるかもしれませんが、時代や文化を越えた不偏なものであるでしょうから、私たちはそんなに抵抗なくこれを受け入れることができるでしょう。しかし羊飼いのたとえということになると、羊飼いなど見たこともない私たちには、わかりにくいたとえであろうと思います。

 パレスティナでは現在でも羊を連れた羊飼いを見ることができます。私が三十数年前イスラエルの旅をした時に、荒れ野で羊たちを連れた羊飼いの人たちを、一度ならず見かけました。二千年前のイエス様の時代には、イエス様が羊飼いをたとえにして話せば、恐らくそれを聴いていた人たちはみんな生き生きとした神様と人間の関係を思い浮かべることが出来たのだろうと思います。

 私は中国大連で生まれ、敗戦後一歳になるかならないぐらいで、舞鶴港に母親と兄弟たち総勢六人で引き上げて来ました。そして、それから八年後戦争の悲惨な状況がまだまだ生々しく残っていた復興途中の時代でしたが、ある日のこと、父親が突然乳牛を連れてきました。なんとか生計の足しにしようと考えてのことであろうと思いますが、それから毎日牛のえさをやったり世話をする仕事が私に課され、雨の日も風の日も、学校から帰ると直ぐに牛を連れて山に行き、草を食べさせる間、私はずっと牛の手綱を持って立ち尽くし、牛が草を食べるのをじっと見ていたものでした。それで、私は牛が本当に悲しい時には、涙をぽろぽろ流して泣くということも知っています。

 乾燥していて暑気の厳しいパレスチナでは、家畜には毎日規則正しく水をやる必要があります。羊飼いはいつも羊の群れの先頭に立って羊たちを牧草地や水辺に連れて行かなければなりません。また野獣や盗人たちが出たときには、まず自分でこれらと戦わなければなりませんでした。ヨハネ十章には雇われている羊飼いのたとえがありますが、雇われている人間は、狼が襲ってくれば自分の命が大事なので羊を置き去りにして逃げるけれども、良い羊飼いは羊のために自分の命さえ捨てるのだ、とイエスは言います。

 羊飼いたちは、自分の羊には一匹一匹にその羊の特徴を表すような名前をつけて、どの羊は体力が弱いとか、病気にかかりやすいとか、迷子になりやすいとか性格もよく知っていたようです。羊たちも決して飼い主の声を間違えるというようなことはなかったと言われます。また羊飼いたちは羊を守るために、石投げの技術に熟練していたようです。皮や毛で編んで帯状にして中央の部分に石を載せ、両端を手に持って頭の上で振り回しひもの一端を急に離して石を飛ばす技術です。野獣や盗賊との戦いのためだけではなく、羊の群れを守るために犬を持っていなかった彼らは、群れから離れて行きそうになった羊の鼻の先に石を落として、羊を群れへと引き戻すためにもこの石投げの技術を使ったということです。

 「羊飼いは立っている。まどろむことなく、眼光を闇深くとどかせ、風雨にさらされ、杖にもたれて、彼は散在する羊たちに眼を注いでいる」慈しみ深い神の守りの御手に帰ろうと、主イエスは私たちに呼びかけておられるのです。 
             

                      2022年4月1日



いと高き方の力があなたを包む   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・神にはできないことは何一つない。』マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように』」    ルカ福音書1章35節~38節

 「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、跪いてこう祈られた。『父よ、御心なら、この杯をわたしたから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください』」    ルカ福音書22章39節~42節

 主イエスの降誕物語の中で、この出来事をどのように受け止めたら良いのか戸惑うマリアの姿とわたしたちの思いとは重なっているように思います。その戸惑うマリアに天使はとても大切なことを伝え、マリアはその伝えられた天使の言葉に素直に応答しているのが上記の聖句です。

 「いと高き方の力があなたを包む」これは、つまり、これからあなた(マリア)を通して起こる出来事は、神の意思によって起こることなのだから、神に信頼してその御意思にあなた自身を委ねなさいということでした。その天使の言葉に対してマリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と応じています。戸惑い、困惑、不安の中でそれに抗するようにして、マリアは神の御意志が成りますようにと応じたのです。

 51節を読みますと「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き下ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」とマリアは主を賛美しています。

 時あたかも、思い上がる者、権力ある者が力を奮っている中で、人々は、体調のこと、お金のこと、家族のこと、政治の貧困など、不安や心配を数えるときりがないような状況の中で、そのような人々を押しつぶしてしまうようなもろもろの力よりも、小さな者への神の憐れみと慈しみの力へマリアは信頼を寄せようとしているのです。

 それが「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」
と賛美している内容です。ルターは「神の御目はただひたすら底深い所を見て、高き所は見ておられない」と言いました。

 さてこのマリアの「お言葉通り、この身に成りますように」という神への応答の言葉と重なっているのが、上記ルカ22章42節の主イエスのゲッセマネの園での祈りです。
「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」ここにマリアの神の言葉に対してのみ自らを開くその姿勢が、イエスのゲッセマネの園での祈りに非常に象徴的にあらわれている、それが「御心が成るようにしてください」という言葉であるととらえることができます。この二つは相呼応しているのです。

 ここにはイエスという存在は、初めから終わりまで人という土の器の低さを担いきった神である、という信仰があります。人が人として生きるということは、あくまで人が人に留まり、土の器に留まり、人間らしくあることであり、そして、神の言葉に己が身を開くか否かにある。人が神にならないように、神が愛の人として自らわたしたちの所へ降りて来てくださり、神の意志を貫いて生きてくださったのです。「あなたを包む神の力」とは「神の愛の力」のことです。
 
             

                      2022年3月1日





主の愛に立ち帰ろう   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし、三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように我々を訪れてくださる。」・・・わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす捧げ物ではない。 旧約聖書 ホセア書6章1節~3節、6節

 ホセアは、紀元前八世紀の後半(前750年以降)に南北に分裂したイスラエルの北イスラエル王国で活動した預言者です。この時代北イスラエル王国は、メソポタミアの強国アッスリアによって脅かされ、ついに侵略され、滅ぼされてしまいます。(紀元前722年)ホセアは恐らく、この北イスラエル王国滅亡の20年くらい前から、この滅亡の時位まで活動したと思われます。国家滅亡という大惨事を自ら体験した預言者です。そして恐らく、なぜ、神の民イスラエルが滅ぼされたのか、ということを真剣に考え分析したということでしょう。5章8節以下は、北イスラエル王国がアッスリア帝国によって蹂躙された事件が背景になっていると考えられています。

 アッスリア帝国の王ティグラト・ピレセスⅢ世という人物は、非常に権力欲の強い人物で、古代オリエント全土を支配下に治めようという野心を抱いていたようです。シリアやイスラエルはその野心の犠牲になったのです。イスラエルの特に北の地方、後に主イエスの故郷となるガリラヤ地方が蹂躙されたのです。

 アッスリアは、好戦的で、残虐な軍隊として知られていました。その攻撃を受けて、イスラエルの多くの人々が悲惨な状態になり、弱り果てたのでした。そのような状態の中にあって、国土が荒廃しただけではなく、人々の精神も荒廃したのです。イスラエルの民の主なる神への信仰も、アッスリアの支配の影響を受け偶像礼拝化して行きました。そこでホセアは、イスラエルの人々の罪を指摘して、悔い改めを勧めたのです。

 上記の6章1節~3節は、イスラエルの祭儀で用いられていた「懺悔の歌」から引用されたものです。「懺悔の歌」とは、国が重大な危機に見舞われたとき、たとえば戦争に負けたときとか、疫病に見舞われたときとか、天変地異に見舞われたときに、人々がひとつところに集まって、断食をしたり、灰をかぶったりして歌われた歌です。罪を悔い改めて、神に助けを祈り求めたのです。

 罪とは的外れを意味します。災難をもたらした原因は自分たちの的外れな生き方にあるとして、それを悔い改めること、つまり方向転換をすることでした。人間は神によって命を与えられ、神によってこよなく愛されている。この神との愛による応答関係に生きることが人間の本来の生き方でした。しかし、人間はこの神との愛の関係を生きることから離れ(これが罪の本質なのです)、自分中心に、欲に従って生きてしまう。これがあらゆる災難という結果に結びついていくと分析しているのです。

 その本来の生き方からそれてしまって、自分の考えで間違った方向に歩んでしまっている歩みを、本来の生き方へ方向転換して立ち戻ることが、悔い改めということなのです。

 ホセアは、「主を知ろう」と勧めています。この知ると言う動詞(ヤーダー)は、知的・観念的に理解すると言うよりも人格的な関係、深い愛の関係を言い表す言葉です。神との深い人格的な関係、つまり神を心から信頼するとか、神に心から信頼し従う、ということを意味しているのです。

 神の愛への立ち帰りは、現代の私たちにも呼びかけられているメッセージでもあり、神はその機会を恵み深く与えてくださってもいるのです。その一つは主イエスが私たちに代わって、私たちの的外れの生き方の結果を引き受けてくださった十字架において、もう一つは弱い私たちのために神の恵みの言葉によって新たな命の息吹を与えてくださり、私たちの心を導いてくださっていることにおいてです。愛の主に立ち帰り神の招きに応えて行きたいものです。             

                      2022年2月1日




私の心の故郷   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリアの総督であった時に行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」                   ルカによる福音書2章1節~5節

 新年おめでとうございます。年末年始を里帰りで故郷で過ごした方もおられるかと思います。コロナ禍での帰省は今年はどうなるかと案じておりましたが、Uターンの新幹線乗車率はほぼ満席、高速道路も渋滞10キロから20キロと例年並みの混雑ぶりであったようです。この時期になりますとクリスマスの出来事を語る聖書の言葉で、特に上記のルカ福音書の箇所が心に浮かんで来ます。

 2章3節に、「人々は皆、登録をするためにおのおの自分の町へ旅立った」とあります。クリスマスの日にそれぞれ自分の町に帰っていった。この「自分の町」を、「自分の生まれた町」と訳している聖書もあります。文語訳まで遡ると、「各々その故郷に帰る」となって、「自分の町」を「ふるさと」と訳しています。クリスマスの時に、人々はそれぞれ生まれ育った町に、故郷に帰って行ったのです。「自分の生まれ育った町に、ふるさとに帰る」。クリスマスは、そのふるさとに思いを馳せる時であったのです。

 故郷を想うことは、自分のこれまでの歩み、来し方に想いを馳せることでもあり、そして自分のこれから、行く末を思い巡らす時でもありますが、ヨセフとマリアそしてその他の大勢の人も「人口調査をせよ」との支配者の命令で、登録をするために、各地からこの生まれ故郷ベツレヘムに、帰って来たのです。このユダヤの寒村ベツレヘムに主イエスは誕生しました。その日はベツレヘムは帰郷した人々であふれかえっていました。宿にも、民家にも、もう人の入る余地のないほどでした。夜遅くまで明かりの灯る村の賑わいに、人々は、「ふるさと」の喜びを味わっていたに違いありません。

 主イエスが誕生したベツレヘムは私たちが里帰りをする町を象徴するような町でした。マタイ福音書2章には、「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない」と記されています。「いちばん小さいものではない」と言われるほどに、ひなびた小さな村であったということでもあります。またダビデの町としてもよく知られていました。ダビデの出身地でありました。また、ベツレヘムはルツ記の舞台でもあります。ナオミとルツの物語でもベツレヘムは多くの人々にとって親しみのある町でした。そうした歴史を通してベツレヘムは人々の魂の故郷になったところでありました。

 そこに主イエスが生まれたのです。神が人間となって私たちのところに降りてこられたところとなったのです。主イエスを救い主と信じる全世界の人々の魂の故郷となったのです。その故郷に私も想いを馳せて、そこで生まれた主イエスをシメオンのようにしっかりと両腕に受け止めて新しい年も生きて参りたいと思うのです。
             

                      2022年1月4日





「クリスマス―私たちが新しくされる日」   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵のおもて面にあり、神の霊が水のおもて面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇とを分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった」                (旧約聖書創世記1章1節~5節)

 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらず成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」
   (新約聖書ヨハネによる福音書1章1節~5節)

 「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず。命の光を持つ』」
   (新約聖書ヨハネによる福音書8章12節)

 神様が天地創造のいちばん初めになさったことは、「光あれ」という言を発せられて、光を創造したことでした。その光は、その後に作られた太陽や月、星などとは違った、すべての光の源としての光でした。この光の下で、すべてが輝き、神の栄光を現し、この宇宙も人類の歴史も導かれ、営まれて行くことが目的でした。

 しかしながら、悲しいことに、人間の営みはこの根源的な光の秩序の恩恵を軽んじ、忘れ、いつしか自分の光、自分だけを照らす光、自分の国だけが潤う光、そういう限られた偽りの光を重んじ、優先させるようになり、次第に輝きを失い、やがて闇に包まれていくようになりました。

 上記の旧約聖書も新約聖書も、これまでに経験したことがないような人間の作り出す様々な暗闇に、人々が苦しみ呻いている状況の中で、神様が与えてくださる希望の光、神の言に耳を傾けるように、人々に呼びかけたものです。

 クリスマスは、この光を失った世界の闇の中に、もう一度、命を与えるために、その独り子イエスを、暗い暗い罪の世界に「命の光」としてお遣わしになり、命を宿してくださった日、そしてその恵みを感謝する日です。

 賀茂川ルーテル教会では、24日(金)午後7時からキャンドル・サービスを計画していますが、キャンドル・サービスとは、キャンドル(ろうそく)にキリストの「命の光」を思い巡らし、サービス、つまり神を礼拝するひとときなのです。

 クリスマスは世界中の全ての人々が、この命の光をいただく日です。そしてその命は神の御子、イエス・キリストが十字架と復活によってもたらしてくださったかけがえのない命です。この命の光によって神様は私たち一人一人の心の内側から明るく照らしてくださるのです。このキリストの命の光をいただきますなら、私たちの心の内側から私たちの存在そのものが輝き始めるのです。これこそが神様の新しい創造のわざなのです。

                      2021年12月1日




   「傷ついた葦を折ることなく」    

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
  「見よ、わたしの僕(しもべ)、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心をを消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない。この地に裁きを置くときまでは島々は彼の教えを待ち望む」(イザヤ書42章1節~4節)

 ブレーズ・パスカルは、今からおよそ400年ほど前のフランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、事業家と多数の分野で業績を残した人です。神童と呼ばれた早熟の天才で、その才能は多分野に及んでいます。ただし、短命であり、39歳で逝去しています。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿を、自分の目標としていた書物にまとめることも叶いませんでした。

 17歳の時には、機械式の計算機の構想・設計・製作に着手し、それを2年後に完成させます。この計算機の設計・製作に没頭したことが、パスカルの肉体を傷め、病弱の身をさらに寿命を縮める原因の一つとなった、とも言われております。

 パスカルの残した遺稿『パンセ』に有名な言葉がある。「人間は一本の葦にすぎない、自然の中でいちばん弱いものだ。だが、それは考える葦である。これを押しつぶすには、全宇宙はなにも武装する必要はない。ひと吹きの蒸気、一滴の水でも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙は人間を押しつぶしても、人間はなお、殺すものより尊いであろう。人間は、自分が死ぬこと宇宙が自分よりも優っていることを知っているからである。宇宙はそんなことはなにも知らない」

 このパスカルの言葉は人間存在の弱さと、人間の決して侵されない命の尊厳とを見事に言い表しています。彼は小さいときから病弱であり、上記しましたように生涯体に痛みを負っていた人でした。それだけに「人間は考える葦にすぎない」という言葉には、自らの体の痛みと傷の経験が深く関係していたということでしょう。だがしかし、そのすぐにでも壊れそうな人間の命には、限りない尊厳がある。それは、全宇宙よりも尊いものである、そうパスカルは言い切ったのです。日本ではその頃はまだ戦をし、互いに挑み合い、殺し合っていた時代でした。

 この「考える葦」という比喩をパスカルはどこからとったのか。いろいろと議論がなされていますが、やはり、冒頭の旧約聖書イザヤ書42章3節が元になっていることは間違いないと言うのが定説です。パスカルは自らの体に傷を抱えながら、その傷ついた葦を折ることなく、それを包み救ってくださる方への信仰をもって、この箇所を読んでいたということでしょう。

 イザヤ書の言う「傷」とは何か、「暗さ」とは何か。それは具体的には50年に及ぶバビロン捕囚の現実です。イスラエルは大国バビロンによって滅ばされ、外国の地に抑留されていたのです。人々は疲れ果てていました。その姿は、まさに「傷ついた葦」のように折れ、また「暗くなってゆく灯心」のように消えゆくばかりであったのです。

 そして、この「僕」がだれであるのかについては、やがてそのような状況から人々を救いとってくださる方のことです。この言葉を聞いた人々の心には、ほのかな希望が芽生えたに違いありません。確かに自分たちは、いまにも折れそうな「傷ついた葦」のようだ、まさに風前の灯火である、しかし、その自分たちの傷と不安を知ってくださっている方がいる、それを包み込むようにして救い出してくださる主の僕がいる、イエスラエルはこの時にそのことを知らされたのです。

 しかもここの箇所をよく読んで見ますとそれは単に個人的な救いで終わるのではなく、この主の僕は、大きな神の救いを、この人間の歴史において実現する存在として描かれております。1節に「国々」という言葉が出て来ます。4節に「この地」そして「島々」と記されています。神は一個人や、一国のことのみを考えておられる方ではなく、世界大の救いの業をなそうと計画しておられる。それは傷ついて倒れそうな一個人にも、また滅びそうになっている国にも及び、希望を与えるものです。

 人間は「傷つき」「暗くなり」気落ちし、くずおれることがある。しかし神は必ず、「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく」、救い出す存在をこの地に立ててくださる。その約束がここにはあるのです。そして、その約束を実現されたのが救い主イエス・キリストなのです。

                      2021年10月31日




        
 再生への希望    

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「荒野よ、荒れ地よ、喜び踊れ
  砂漠よ、喜び花を咲かせよ
  野ばらの花を一面に咲かせよ。
  花を咲かせ
  大いに喜んで、声をあげよ
  ・・・・・・
  熱した砂地は湖となり
  渇いた地は水の湧くところとなる。
  山犬がうずくまるところは
  葦やパピルスの茂るところとなる」 
     (イザヤ書35章1節~7節)

 イザヤ書は旧約聖書中最大の預言書で、全体で66章に及ぶものです。紀元前740年頃から紀元前450年頃までの300年のイスラエルの歴史の中で広範に及ぶ預言活動をしたイザヤとその弟子集団によりなされた民衆への預言のことばの記録です。

 背景となっている歴史はイスラエル王国が南と北に分裂し、北王国が滅亡し、南王国ユダがかろうじて独立国家として残っていたけれども、やがてバビロンによって滅亡の一途を辿り、民はバビロンに囚われの身となります。その後台頭して来たペルシャ王クロスがバビロンを倒し、イスラエルは捕囚から解放され、再び国の再建を目指すまでの長い歴史です。

 引用した35章のところはバビロン捕囚末期の預言で、将来に対して希望を失っていた時代でした。その時代の絶望とつぶやきが様々な形で言い表されていました。「もはや神は我々を見捨てて、生きて働いてはくださらないのではないか」そのような深い嘆きの中におりました。イスラエルの民はその絶望のゆえに、先の見通しの出来ない未来への展望を失って、先に進もうとせず、自分たちの過去への歴史へと後戻りをしていました。

 しかし、そのような民に与えられた神の言葉は驚くべきものでありました。「初めからのことを思い出すな。昔のことを思い巡らすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。」(イザヤ43章18節、19節)

 自分たちの過去の栄光の時代と現在とを比較して嘆いていた民にとって、胸に突き刺さってくるような言葉でありました。「昔は良かった」と言って現在を嘆き、未来に対して心を固く閉ざしている者への鋭い挑戦の言葉でした。

 その約束された新しいこととは何だったのか。「わたしは荒野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。野の獣、山犬やダチョウもわたしを崇める。荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ、わたしの選んだ民に水を飲ませる」これは、あなたがたが後ろ向きに思い起こしている恵みの出来事を、神は将来において行われる。バビロンとイスラエルを遠く隔てている荒れ野・砂漠に道をつくり、川を流れさせるというのです。これは具体的にはイスラエルの民の故郷への帰還を意味し、それのみではなく、自然界の「再生」をも含む大きなビジョンであるといえます。

 43章19節には日本語には訳されていませんが、「わたしは荒れ野に道を敷き・・・」という文章の最初には「再び」と訳すことができる小さな語がついています。「わたしは再び砂漠に道を敷き、荒れ地に川を流れさせる」なのです。この「再び」を信じ抜くことにこそ信仰者の実存を掛けて行くことを、預言者は民衆に呼びかけたのです。そして、この「再び」の再生の約束の希望は、新約聖書に引き継がれ、キリストによる世界の「再生」あるいは「新生」こそ、私たちが待ち望んでいる新しい未来の展望なのだという指針になっていくのです。


                      2021年10月2日





          
          心を養う食べ物    

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「彼はわたしに言われた。『人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に帰りなさい。』わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、言われた。『人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。』わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。」
       (旧約聖書エゼキエル書3章1節~3節)

 紀元前のイスラエルの民の歴史を導く指導者の役割を担ったのは、神の言を人々に語る預言者でありました。預言者とは、神の言を神から託され、それを人々に伝える者という意味です。旧約聖書にはその預言者の多くの「召命記事」が記されています。そして、神とその預言者との決定的な出会いが、その人の生涯を最後まで決定することが証しされています。前回に話しましたサムエルもその預言者の一人です。

 冒頭に記しましたのは預言者エゼキエルの召命の記事からの引用です。エゼキエルは、第一回のバビロン捕囚(紀元前597年)で国が破れ、主な指導者がバビロンに捕らえ移されるという破局の中で、それから5年後に捕らえ移されたケバル川の河畔で幻を見ます。神からの一方的な介入に圧倒されるという形で預言者として立てられて行きます。

 天が開かれるというのがエゼキエルの原点でした。旧約聖書では"天が開かれる"というのは、苦しんでいる者の最大の救いであるとされていました。(詩編18:10)エゼキエルはその「天が開かれる」経験をしたのですが、開かれたのは、天だけではなく、同時にエゼキエルの口が開かれるという経験が記されています。この時の神の命令は、口を開いて、神の与えてくださる「巻物を食べる」ということでした。表現としては強烈な印象を与える行為です。「巻物を胃袋に入れ、腹を満たす」とも言い換えられています。つまり、この表現は巻物に記されている神の言を、ただ読んで理解するだけではなく、その内容を噛み砕いて、自分自身の本当の栄養にすることです。ヘブライ語の「食べる」とは

、そのような意味を持っています。ですから、ここで「食べる」という言葉が何度も繰り返されているのです。エゼキエルは、神の言葉を聞き流した人ではなく、文字通り「食べた」預言者でした。

 神から食べるように言われた巻物には、救いや喜びの言葉ではなく、「哀しみの歌と、呻きと、嘆きの言葉」が記されていました。(2章10節)おそらくそこにはイスラエルがバビロン捕囚に陥った数々の困難・混乱そして、人々の苦悩が書かれていたと同時に、そうした中での人々の神への反逆の罪が列挙され、いかにイスラエルが「反逆の家」であったか、また今もそうであるかが書かれていたと想像されます。捕囚の困難が始まったばかりのイスラエルの人々にとって、それは読みたくもない、そして聞きたくもない言葉でした。しかし、神はその嘆きの言葉をあえてエゼキエルに「食べさせ」、それをイスラエルの人々に知らせようとしたのです。このことはエゼキエルにとっても厳しく辛いことであったに違いありません。

 そして、聖書はここに不思議なことを告げています。それは、その読むにも辛い巻物の言葉は、エゼキエルが食べてみると、「それは蜜のように口に甘かった」(3章3節)というのです。ここに神の言葉の不思議さが明確に証しされています。厳しく辛い言葉とは、わたしたちの現実を鋭くついた言葉のことです。その意味で聖書の言葉は「厳しい」言葉といえます。聖書を読む生活とは、決して現実から逃避することではなく、むしろ現実をありのまま見つめ、その中を深く生きることだということです。神がエゼキエルに差し出した巻物には「嘆きの言葉」が記されていたにもかかわらず、それはエゼキエルにとっては「蜜のように甘かった」のです。

 問題はやはり、巻物(=聖書=神の言)を、ただ字面だけを追って読むということではなく、その言葉を噛み砕き、それを「食べる」かどうかです。わたしたちの現実のただ中で読むかどうかです。その時、「嘆きの言葉」は「蜜のように甘く」人間の心を喜び躍らせるものに変えられていく、つまり生きる力になっていく、そのことを神は約束されているのです。その約束が本当に実現したのは、それからおよそ600年後のイエスという救い主の到来によってでした。

 「聖書に生きた人はみな聖書を読み捨てたのではなく、食べ噛み砕いて生きた。聖書は読むものではない。食べるものだ」これは若くして亡くなった旧約聖書学者左近淑氏の言葉です。

                      2021年9月1日



            祈  り  Ⅱ    

                      
大宮 陸孝 牧師    

               
 「サムエルは民に言った。『恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、今後はそれることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい。むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。それはむなしいのだから何の力もなく、救う力もない。主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。主はあなたたちを御自分の民と決めておられるのだからである。わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すような事は決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。主を恐れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。』」(サムエル記上12章20節~24節)

 エジプトから解放されたイスラエルの民はその後モーセに率いられ40年ほどシナイの荒野を放浪した後、ヨルダン川を渡って約束の地イスラエルに入ってゆきます。そこで部族毎に入植して次第に定住生活を確立してゆく訳ですが、国家はまだ成立していません。誰が彼らを治めたのかといいますと部族毎の長十二人と十一人の士師たちでした。士師とは言うなれば司法官といった意味です。

 そうこうしているうちに時は過ぎ、しばしば外国の列強国の侵略に苦しめられ、イスラエルは滅亡の危機にさらされます。それが王というものが登場するいきさつとなり、王を任命する役割を担ったのが、預言者サムエルです。

 幼い頃神殿司に預けられ、そこで預言者として召命を受けたサムエルの生涯にわたる使命は神の民をはじめ、あらゆる人々に神の言葉を伝え導くこと、そして王を選び出し即位させ、その王を神の言葉によって指導していくことでありました。それは大変な困難を伴う仕事でした。この使命遂行に当たって重要なことは、サムエルは王としてのあるべき資質をどのように考えていたかということです。

この点に関して、サムエル記を読んでゆきますと三つのことが浮かび上がってきます。

①王となるべき人格的資質の第一は神との関係ということ。王の選びは一般的人間的評価によらないこと、わかりやすくいうと彼が神を恐れるかあるいは人を恐れるかの二者択一にあるということ、神さまとの正しい関係を問われたのです。

②王となるべき人格的資質の第二は対人関係です。神を恐れることはそれは対人関係に投影されてゆくものだということです。「神との真実なつながりはそのまま人との真実なつながりとなってゆく」ということです。

③王となるべき人格的資質の第三は対自分の関係です。自分を自分とする事はどこで成立するのか。それは神を神として恐れる事だというのです。神の前に自分を相対化しへりくだることができるかということです。人間は欠けも失敗もあります。神の御心から遠のいて、自分の欲望を満たすことに一生懸命になっている的外れな生き方をしているということもあります。その的外れを率直に認めて神を恐れる事へと方向転換できるか。神の憐れみに自分を委ねていくことができるかということです。健全な魂とはこの三つが備わっている霊的な人のことです。
 

                      2021年8月1日

          
 



             祈  り   

                      
大宮 陸孝 牧師    

               
  家庭や地域社会での人間関係をより健全にするには、どんなことでも率直に話し合い、コミュニケーションをはかる努力をする事が大切であると、聞いたことがあります。つまりタブーを作らず、虚心坦懐に何でも話し合う関係を作り上げていくことがより健全なコミュニティー(共に生きる共同体)には欠かせないということでしょう。

 主イエスは祈りを通して父なる神といつも内的な交流をはかり、信頼関係を築いておられました。その祈りが書かれているのが次の箇所です。

 「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびき軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびき軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。』」(マタイ11:25~30)

 主であるイエスさまは、貧しい人、弱い人、苦しんでいる人、悲しみの中を歩んでいる人、そういう人にこそ神の国(神の愛)は到来したのですからあなたがたは幸いなのです。とおっしゃったのですから当時の支配体制と正面からぶつかっていくことはやむを得ないものがあったのです。当時の人間が持っていた価値観を主イエスさまは真っ向から覆されたのです。

 知恵ある者、賢い者と自認している律法学者やファリサイ派の徒が何を言っても心配することはありません。その人たちには真理は隠されています。子である私だけが御父のご意志を知っているのです。だからあなたたちは安心していなさい。子どもが父親に全幅の信頼を寄せているように、私に信頼を寄せているあなたがたにこそ、神は真実をもって真理(愛)をお示しになるのだ。人間の世界から受けるあらゆる重圧に苦しんでいる人たちを、そこから解放することこそ神の御旨なのですよ。父なる神が本当の慈しみと恵とをお示しくださったことを感謝し、ほめたたえます。というのがここでのイエスさまのお祈りであったのです。

 私たちは相変わらず自分の力に頼り、自分の願いに流され、自分の意のままにならないことを抱え、焦り、苛立ち、あげくには希望を失い、生きる力も失い、自分の人生を否定的に見てしまうという循環に陥る危険があります。そんな時、顔を上に向け、私の命を無条件で赦し、受容し、肯定し、生かして下さっている神さまが私と共にいて下さることを思い起こしていただきたいのです。祈りとは神さまとの命のつながりを取り戻すことです。 

                      2021年6月26日

 

          
          十字架って何ですか   

                      
大宮 陸孝 牧師    

               
 今からおよそ3200年ほど前のこと、神さまがイスラエルの人たちに神さまを礼拝するための建物、施設を作るようにお命じになった話が、出エジプト記25章8節に記されています。

 「彼らにわたしのために聖所を作らせなさい。私が彼らの内に住むためである。」また同じ25章の22節には、「その所で私はあなたに会い、……イスラエルの人々のために、私が命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう」とあります。

 この時イスラエルの人たちは、つい最近までエジプトで奴隷のような生活をしていたのが、神さまの助けによってエジプトから脱出して来たばかりで、言うなれば解放奴隷の一群でした。

 まだ国土もない。住む家もない。移動式のテントで生活している。田畑山林も産業もない。政府もない。民衆を守る軍隊もない状態でしたが、神さまの恵みを覚えて礼拝することが最優先でしたから、神さまの御言に従って力一杯の努力で幕屋を建てました。幕屋とは、テント式、移動式の神殿で、転々と荒れ野を移動する彼らの居住地の真ん中に神の幕屋を建てて、神さまがいつも彼らと共にいるしるしとなりました。後に彼らがパレスチナに定住するようになり、りっぱな家に住むようになると、その彼らの努力で壮麗な神殿を造るようになりました。

 イエス様の時代になると、エルサレムの神殿は、ヘロデ王が国力を傾けて建てた贅沢で立派な神殿で、40年もかかっても細部はまだ完成していないというくらいのものでしたが、本当の礼拝の雰囲気、神さまの恵みを覚え、感謝し、祈ること、また神さまの御ことばに謙虚に耳を傾ける姿勢に欠けていました。立派である。整備されている。盛んである。賑やかに人が集まっている。しかし、祈りに欠けている。神さまの御ことばに傾聴する姿勢がありませんでした。

 今日では教会は大変シンプルに建てられ、そのシンボルは屋根の部分に十字架を建てるだけです。その十字架を仰いで、教会の十字架は、イエスという人が人間の救いのためにその罪を負われた身代わりの死をあらわしていると言います。

 そこまでは第3者でも言うことが出来ます。しかしよくよく考えてみますと、そのように言うことが出来るのは、イエスというお方が世のすべての人一人一人をこよなく愛して、共にいてくださり、私たちの神に逆らう的外れの生き方の結果起こってくる様々な問題と向き合い、その問題のしがらみを共に負ってくださったその延長線上に十字架が立っているからです。でなければ十字架はただの犠牲です。イエスの十字架の死で注目すべきなのは、その悲惨な死に方ではなくて、十字架を負うに至らざるを得なかったイエスの生き方です。十字架は、わたしたちの罪のための犠牲であるゆえに身代わりであるというよりは、人間の罪(神から離反しようとする的外れ)への神の徹底した寄り添いなのです。神さまが十字架に掛かられた真意は神さまの私たち一人一人への寄り添いです。十字架の主は今も私たち一人一人の苦しみを共に負っていてくださいます。それが十字架の意味です。


                      2021年5月8日



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